アーカイブ | 8月 2012

日本での生活

私は生まれて育ったのが日本だったことや友達も地元にいることから、日本で生活していくんだろうと思っていました。
もちろん親の離婚のことは頭にあったのですが。
「母と2人暮らしでもいいかな」といった程度に考えていたのです。だって「ベトナムに帰りたい」と常々言っていた母ですが、まさか本気で帰国するとは思ってもみませんでした。
東京はとても便利ですし、いまさら東京から離れる理由なんて特段ないと思っていたからです。幸い江東区だと公団住宅や市営住宅などの家賃も低めの設定なことから、「私が借りて母と住めばいいや」位に思っていました。
私は大学を卒業してから商社でOLをしています。商社に就職した理由はベトナム語を生かせることです。もちろん英語もある程度はマスターしています。
せっかく母親の影響でベトナム語を話せるのですから、もっと有意義にいかしたいなと思ったのも理由の1つです。
商社での仕事はとても充実していました。ベトナム現地と連絡を取り、日々やりとりをするといったものです。
母も私の就職先については、とても喜んでくれていました。母国ベトナムと接点を持っている仕事に誇りを持っていたみたいです。
我が家でちょっと変わった点といえば、ご飯のときに和食だけではなくベトナム料理が出されるといった点でしょうか。母はベトナム料理が大変上手です。お店で働いていた経験もあるので、腕は確かなのでしょう。
「週に1度はベトナム料理が食べたい」と思うほどです。今はベトナムなので、週の半分以上ベトナム料理です。
母は私たちが小学校に入ると、近所の工場でパート勤めをしていました。そこの工場は外国人もけっこう多かったみたいです。家に帰るとたまに勤め先の友人がお茶をしていたこともありました。
母は和食についても勉強して日本人とそんなに変わらないレベルで作ることができます。私はというとあまり料理が得意ではなく、今も母の料理を食べているといった感じです。
弟は1浪しましたが無事大学へ進学し、現在はメーカーで勤務しています。父は専門職ということもあり、今も現役で仕事をしています。
商社にいたこともあり、外国人と接することや海外勤務についてはそこまで抵抗はありませんでした。ただ東京が好きだし、気に入っていたので離れる気もさらさらありませんでした。
あのときは大学時代の恋人と別れてまもないこともあり、このまま母とベトナムに行ってもいいかなという気分になっていたんだと思います。人生は本当不思議なものですね。

投稿日: 2012年8月28日 カテゴリー: 家族 タグ:

父と母とのこと

私は父(日本人)と母(ベトナム人)の間に生まれたハーフです。
今も父が日本に住んでいますが、私が生まれ育ったのは東京江東区です。江東区は在日韓国人やハーフが多いエリアで外国人やハーフはいじめられるといったことが言われていますが、そうしたことは全くない地域でした。
母は若いころ出稼ぎで日本のベトナム料理店で勤務していて、そこで父と出会い結婚に至ったそうです。父は現在70歳、母は57歳です。かなり年が離れていることがわかることと思います。
父はあまりいい夫とはいえず、浮気の繰り返しでした。しかし母は私や弟のことを考え、弟の学業がひと段落するまではと離婚を思いとどまっていました。
私も弟も江東区の幼稚園、小学校、中学校と進学しその後、都内の高校、大学を卒業しています。2人とも成績はわりとよく、偏差値65前後の学校に進学を果たしました。
ベトナム語は?というと、それなりに話せます。母があまり日本語が得意ではないことから、母との会話はベトナム語が主流です。父とは日本語、弟とは日本語とベトナム語のちゃんぽんで会話します。
母ですが、見た目が日本人ぽいことから私もハーフだと言わなければ誰も気がつきません。ただ母はベトナム人のため体はとても小柄です。身長は150cmにも満たない程度です。私はその点父に似たようで、身長は160cm超えとなっています。またベトナム人と日本人では体系にもちょっと違いがあるようで、私はどちらかというとベトナム色が強いようです。日本人よりもちょっと華奢な感じだそうです。
ベトナムですが、子供時代に3度ほど足を運んだことがあります。まだ祖父母が健在だったころです。母と私、弟で帰省するのが恒例でした。母の実家はベトナム首都ハノイにあります。
その後祖父母が亡くなって家が空き家になってしまったこと、また父と母が離婚したこともあり、母はベトナムに戻ると決意。
我が家はあまり裕福ではないので、母の生活のことも考え私もベトナムに移住を決意したわけであります。
父は現在弟と2人暮らしです。その点は心配していないので、私は母のことをサポートできればいいかなといった状況です。小さいころから公団住宅に暮らしていて、今もそこに父と弟で暮らしています。
離婚については悲しくなかったといえば嘘ですが、もう母を解放してあげたいといった気持ちのほうが強かったです。
母はベトナムに戻りたそうでしたし。
ベトナムに来てからの母を見て感じたのですが、友人もいるし言葉も通じるしとても楽しそうです。

投稿日: 2012年8月21日 カテゴリー: 家族 タグ: