日本での生活

私は生まれて育ったのが日本だったことや友達も地元にいることから、日本で生活していくんだろうと思っていました。
もちろん親の離婚のことは頭にあったのですが。
「母と2人暮らしでもいいかな」といった程度に考えていたのです。だって「ベトナムに帰りたい」と常々言っていた母ですが、まさか本気で帰国するとは思ってもみませんでした。
東京はとても便利ですし、いまさら東京から離れる理由なんて特段ないと思っていたからです。幸い江東区だと公団住宅や市営住宅などの家賃も低めの設定なことから、「私が借りて母と住めばいいや」位に思っていました。
私は大学を卒業してから商社でOLをしています。商社に就職した理由はベトナム語を生かせることです。もちろん英語もある程度はマスターしています。
せっかく母親の影響でベトナム語を話せるのですから、もっと有意義にいかしたいなと思ったのも理由の1つです。
商社での仕事はとても充実していました。ベトナム現地と連絡を取り、日々やりとりをするといったものです。
母も私の就職先については、とても喜んでくれていました。母国ベトナムと接点を持っている仕事に誇りを持っていたみたいです。
我が家でちょっと変わった点といえば、ご飯のときに和食だけではなくベトナム料理が出されるといった点でしょうか。母はベトナム料理が大変上手です。お店で働いていた経験もあるので、腕は確かなのでしょう。
「週に1度はベトナム料理が食べたい」と思うほどです。今はベトナムなので、週の半分以上ベトナム料理です。
母は私たちが小学校に入ると、近所の工場でパート勤めをしていました。そこの工場は外国人もけっこう多かったみたいです。家に帰るとたまに勤め先の友人がお茶をしていたこともありました。
母は和食についても勉強して日本人とそんなに変わらないレベルで作ることができます。私はというとあまり料理が得意ではなく、今も母の料理を食べているといった感じです。
弟は1浪しましたが無事大学へ進学し、現在はメーカーで勤務しています。父は専門職ということもあり、今も現役で仕事をしています。
商社にいたこともあり、外国人と接することや海外勤務についてはそこまで抵抗はありませんでした。ただ東京が好きだし、気に入っていたので離れる気もさらさらありませんでした。
あのときは大学時代の恋人と別れてまもないこともあり、このまま母とベトナムに行ってもいいかなという気分になっていたんだと思います。人生は本当不思議なものですね。